「青黒の至宝」
「天才」という称号が似合う選手の1人。
- 高校生でプロ入り
- 19歳でドイツ王者バイエルン・ミュンヘンに加入
- 2018年ロシアワールド杯出場
日本サッカー史上最も期待されたプレーヤーの1人であり、”ガンバの象徴”とされる人物です。
今回は、宇佐美貴史のプレースタイルと経歴をご紹介します。
「もっとサッカーが楽しくなる」をテーマに、ブログを書いています。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
宇佐美貴史について
Embed from Getty Images- 名前:宇佐美貴史(うさみ たかし)
- 生年月日:1992年5月6日
- 出身地:京都府長岡京市
- 所属クラブ:ガンバ大阪
- ポジション:FW/MF
- 背番号:7番
- 身長:178cm
- 体重:69kg
- 利き足:右
日本代表歴
Embed from Getty Images- A代表:27試合3ゴール(2025年7月時点)
- 世代別:U-13~U-23(ロンドン五輪世代)
A代表(日本代表)には、19歳で初招集されています。
19歳でバイエルン
Embed from Getty Images少年時代から”天才”と呼ばれてきた選手。
天才エピソードを挙げたらキリがありません。
- 小1で小4の試合に出場
- 中3でユースに飛び級
- 高2でプロ契約
- 19歳でバイエルンミュンヘンに移籍
- CL(チャンピオンズリーグ)決勝でベンチ入り
なかでも2009年U-17W杯での活躍は目覚ましく、「ネイマール(ブルジル代表)より凄かった」ことは有名な話です。
Embed from Getty Images仲が良いリベリー(元フランス代表)との写真。
両親もガンバサポーター
Embed from Getty Images宇佐美選手のご両親は”熱狂的なガンバサポーター”。
そして、息子のサッカーの才能に気づいたご両親。
すぐに練習ができるよう”学校の裏”に一軒家を購入するなど、サッカーが上手くなるための環境づくりに全力。(参照:Livedoor NEWS)
その結果、宇佐美選手は日本を代表するサッカー選手へと育っています。
兄もガンバユース出身。
家長昭博選手、本田圭佑さんと同期です。
妻はタレントの”宇佐美蘭”
宇佐美選手の奥様は、タレントの”宇佐美蘭さん”。
2人は幼馴染で、奥様が1学年先輩。
「アスリートを持つ妻」としてTV出演することもあり、インスタのフォロワー数は10万人超です。
宇佐美貴史の着用スパイク
Embed from Getty Images宇佐美選手の着用スパイクは、”F50”シリーズ。
スピードプレーヤー向けに作られており、フィット感に優れた人工皮革のスパイクです。
※2024年までは”X(エックス)”という名前のシューズでした。
2024年はアシックスのスパイクを着用していました。
宇佐美貴史のプレースタイル
Embed from Getty Images「圧倒的な攻撃センス」
宇佐美貴史といえば”圧倒的な攻撃センス”。
- タッチの細かいドリブル
- 針の穴を通すパス
- 振りの速いシュート
繊細かつ柔らかいボールタッチ。
ゴール・アシストと、とにかく得点に絡む選手です。
運動量や守備強度を指摘されることもありましたが、補って余りある攻撃センスの持ち主。
ボールを持てば、”何か”起こしてくれる選手です。
宇佐美貴史の経歴
- 長岡京SSS(長岡京市立神足小学校)
- ガンバ大阪Jr.ユース(長岡京市立長岡中学校)
- ガンバ大阪ユース(向陽台高校)
- ガンバ大阪
- バイエルンミュンヘン(ドイツ)
- ホッフェンハイム(ドイツ)
- ガンバ大阪
- アウクスブルグ(ドイツ)
- デュッセルドルフ(ドイツ)
- ガンバ大阪
小学生時代
小学生時代は、長岡京SSSでプレーしています。
ガンバサポーターの両親、2人の兄の影響もあり、物心ついた頃からサッカーボールを蹴る日々。
飛び級は当たり前で、いつしか”天才少年”と呼ばれるように。
中学・高校生時代
中学・高校生時代が、ガンバ大阪アカデミーでプレーしています。
- ガンバ大阪Jr.ユース
- ガンバ大阪ユース
関西各地から”才能豊かな少年”が集まるガンバユースでも、宇佐美貴史は別格の存在。
- 中学・高校合わせて3度の日本1
- 獲得したタイトルは数え切れず
- 高校2年でプロ契約
「ガンバユース史上最高傑作」との呼び声も高い選手です。
ガンバ大阪
Embed from Getty Images2009年にガンバ大阪に昇格します。
代表クラスの選手が揃う中でも存在感を発揮し、プロ2年目にはJリーグベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞。
”天才宇佐美”はガンバで2年半プレーした後、ドイツの絶対的王者へと移籍します。
ガンバでの成績
・2009:3試合0ゴール(天皇杯優勝)
・2010:26試合7ゴール
・2011:14試合4ゴール(途中退団)
バイエルンミュンヘン(ドイツ)
Embed from Getty Images2011年7月にバイエルンミュンヘンに移籍します。
この移籍には、鳥肌がたったサッカーファンも多いはず。(私は震えました)
チームメイトは、世界トッププレーヤーばかり。
・ノイアー(ドイツ代表)
・ラーム(元ドイツ代表)
・シュヴァインシュタイガー(元ドイツ代表)
・トーマス・ミュラー(ドイツ代表)
・トニ・クロース(元ドイツ代表)
・ロッベン(元オランダ代表)
・リベリー(元フランス代表)
思うような出場機会は得られませんでしたが、ワールドクラスの選手たちも”宇佐美の才能”を高く評価しています。
バイエルンでの成績
・2011-12:3試合0ゴール(リーグ優勝、CL準優勝)
ホッフェンハイム(ドイツ)
Embed from Getty Images2012年5月に、ホッフェンハイムに移籍します。
移籍当初は主力としての活躍を見せるも、”監督交代”をきっかけに序列が変化。
出場機会を失い、1年でチームを退団します。
ホッフェンハイムでの成績
・2012-13:20試合2ゴール
フィルミーノ(ブラジル代表)がチームメイトでした。
ガンバ大阪(復帰)
Embed from Getty Images2013年6月にガンバ大阪に復帰します。
当時J2で苦しんでいたガンバに復帰し、”大暴れ”。
「2013年:J2優勝→2014年:J1リーグ三冠」という偉業を成し遂げたガンバ。
宇佐美選手は、「助っ人外国人以上に助っ人」といえる活躍で、チームのエースに君臨しました。
ガンバでの成績(2度目)
・2013:18試合19ゴール(J2優勝[途中入団])
・2014:26試合10ゴール(Jリーグ・ルヴァン杯・天皇杯優勝)
・2015:34試合19ゴール(天皇杯優勝)
・2016:17試合5ゴール(途中退団)
※2014、2015年にJリーグベストイレブンを受賞。
アウクスブルグ(ドイツ)
Embed from Getty Images2016年6月にアウクスブルグに移籍します。
”感謝の気持ち”を込めて、背番号はガンバ時代と同じ「39」を選択。(参照:サッカーキング)
しかし、思うような結果は残せず、またしても1シーズンでチームを去ります。
アウクスブルグでの成績
・2016-17:11試合0ゴール
・2017-18:0試合0ゴール(途中退団)
デュッセルドルフ(ドイツ)
Embed from Getty Images2017年8月にデュッセルドルフに移籍します。
ドイツ2部リーグ優勝を成し遂げ、1部リーグ復帰に貢献。
それに加え、ユース時代には「東の原口・西の宇佐美」とも言われた同世代の天才2人がドイツの同じクラブでプレーしました。(参照:日刊スポーツ)
デュッセルドルフでの成績
・2017-18:28試合8ゴール(2部リーグ優勝)
・2018-19:19試合1ゴール(ブンデス1部)
ガンバ大阪(2度目の復帰)
Embed from Getty Images2019年6月にガンバ大阪に復帰します。
ドイツでは納得する結果を残せなかったものの、Jリーグでは”格の違い”を見せる宇佐美選手。
2022年にはアキレス腱断裂し、戦線離脱。
1年かけて復帰した2023年は、「ガンバの7番」を背負い、キャプテンとしてチームを引っ張ります。
”ガンバの7番”は、元日本代表の遠藤保仁選手が17年半に渡って背負った番号です。(参照:Yahoo!ニュース)
G大阪での成績
・2019年:14試合7ゴール(J1)
・2020年:30試合6ゴール(J1)
・2021年:38試合6ゴール(J1)
・2022年:7試合0ゴール(J1)
・2023年:29試合5ゴール(J1)
・2024年:35試合12ゴール(J1ベスト11)
まとめ
「ドイツ挑戦は失敗だった」。(参照:スポーツ報知)
本人がそう語るように、ヨーロッパでは大きな成果は残せず。
- 異文化への適応の問題か
- プレー強度の問題か
ただ、Jリーグではやっぱり別格。
33歳となった今でも、”宇佐美貴史”は相手の脅威であり続けています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

コメント