「世界を知るサイドバック」
- W杯4大会出場
- 38歳で日本代表
- イタリアで8シーズンもプレー
大学時代は太鼓を叩いて応援していたことも・・・。
そんな選手が、数年後には”インテル(イタリア)”で長年プレー。
場の空気を劇的に良くするコミュニケーション能力に加え、”メディア受け”も抜群。
日本サッカーの歴史の中でも、”偉大なる実績”を誇る選手です。
今回は、長友佑都のプレースタイルと経歴をご紹介します。
「もっとサッカーが楽しくなる」をテーマに、ブログを書いています。
初心者の方も、サッカー通の方も、ぜひ楽しく読んでください。
長友佑都について
- 名前:長友佑都(ながとも ゆうと)
- 出身地:愛媛県西条市(旧・東予市)
- 所属クラブ:FC東京
- ポジション:DF
- 背番号:5番
- 身長:170cm
- 体重:68kg
- 利き足:右
日本代表
Embed from Getty Images- A代表:142試合4ゴール
- 世代別:U-23(北京五輪出場)
A代表での出場試合数は歴代No.2。(1位は遠藤保仁氏)
W杯出場回数は日本1です。
出場した主な大会
・2008年北京五輪
・2010年南アフリカW杯
・2014年ブラジルW杯
・2018年ロシアW杯
・2022年カタールW杯
欧州で11シーズンもプレー
Embed from Getty Images2010年夏にイタリアへ。
そこから2021年まで、11シーズンに渡って欧州でプレーしていました。
しかも、所属していたのは”強豪”ばかり。
- チェゼーナ(イタリア)
- インテル(イタリア)
- ガラタサライ(トルコ)
- マルセイユ(フランス)
特に、インテル・ガラタサライ・マルセイユは、世界的に有名なクラブ。
そして、インテルに至っては”世界TOP10”に入るようなビッグクラブです。

インテル時代に”お辞儀”を流行らせた
Embed from Getty Images2010年代のインテルでは”お辞儀”が大流行。
ゴールを決めるとチームメイトが集まり、”お辞儀”をする。
もちろん、流行らせたのは長友選手。
世界有数の選手たちが、み〜んなお辞儀。
お辞儀パフォーマンスは下部組織にも広まっていたというのだから驚きです。
当時インテルに所属していた有名選手
・スナイデル(元・オランダ代表)
・エトー(元・カメルーン代表)
・サネッティ(元・アルゼンチン代表)
・ディエゴミリート(元・アルゼンチン代表)
・カンビアッソ(元・アルゼンチン代表)
・サムエル(元・アルゼンチン代表)
・フォルラン(元・ウルグアイ代表)
・カッサーノ(元・イタリア代表)
・ルシオ(元・ブラジル代表)
・マイコン(元・ブラジル代表)
・コウチーニョ(現・ブラジル代表) など
長友のアモーレは平愛梨
奥様は”平愛梨さん(女優)”。
交際が報じられた際、「平さんは僕のアモーレ(イタリア語で”愛する人”)。」と述べたことで、日本で”アモーレ”という言葉が大流行。
2016年流行語大賞に”アモーレ”がノミネートされました。
ちなみに、二人のキューピットになったのは、お笑い芸人の三瓶さんです。
平愛梨さんの妹・平祐奈さん(女優)とも仲良しで、試合には姉妹揃って駆けつけることも。
Embed from Getty Images2022年W杯で大流行した「ブラボー」
Embed from Getty Images2022年カタールW杯での出来事。
大会前の結果が振るわず、おまけに”死の組”に入ることに。
「期待できない」という声も多かった中、ドイツ・スペインを撃破しW杯ベスト16へ。
そこで誕生した名言は「ブラボー!」。
今では、「長友佑都=ブラおじ」なんて呼ばれていますが・・・。
この選手、本当に”名言製造機”です。
圧巻のコミュニケーション能力
海外では、「日本人は大人しい」と言われることが多く、コミュニケーションの問題で悩む選手も少なくはありません。
しかし、長友選手は正反対の性格。
”超”がつくほどの明るい性格。
外国人選手からも、「あいつは日本人じゃない」と言われるほどで、チームの中心にはいつも長友佑都がいます。
マルセイユ(フランス)に移籍した際、”チームに溶け込むのが早すぎる長友”に驚いた酒井宏樹選手。
その姿を、インスタのストーリーを投稿したことも。
長友は経営者でありYouTuberでもある
本職はサッカー選手ですが、経営者の一面も。
- 長友佑都フットボールアカデミー
- 株式会社Cuore
サッカースクールのオーナーを務める他、アスリートの健康サポート等を行う株式会社Cuoreの代表取締役社長を務めています。
また、YouTubeチャンネルを開設するなど、オフも大忙しです。
YouTubeチャンネルについては、こちらをチェックしてみてください。
【Jリーガー×YouTube】
長友佑都の着用スパイク
Embed from Getty Imagesメーカー:ナイキ
長友選手は、ナイキの”マーキュリアル”を着用しています。
マーキュリアルシリーズは、加速力に特化。
スピードスターに好まれる人工皮革のスパイクです。
長友佑都のプレースタイル
Embed from Getty Images日本代表デビューから15年が経過し、出場試合数は130試合以上。
現在も日本代表としてプレーする長友佑都の大きな強みは、以下の3つです。
- 体幹の強さ
- 対人守備の強さ
- メンタル・向上心
体幹の強さ
小柄ながらも、競り合いに強い選手。
なんなら、20cm近く大きい相手を”弾き飛ばす”ことも。
筋肉量はもちろんですが、体幹がしっかりしており、「軸がブレない」という武器を持っています。
メンタル・向上心
過去には、日本中からバッシングを受けたことも。
海外でプレーしていた頃には、より過激なサポーターから「1試合の結果」だけで叩かれることも。
そのたびに、”結果”で見返してきました。
ヨガで心を整え、大舞台でも最大限のパフォーマンスを発揮する。
まさに、「ヨガ友」。
ワールドクラスの対人守備
1歩の速さと身体を入れるタイミング。
そして、読みの鋭さ。
それらの能力の高さは、「1vs1」のシーンで現れています。
世界TOPのアタッカーの仕掛けに対しても、完璧なディフェンスを披露します。
長友佑都のこれまでの経歴
- 神拝サッカースクール(西条市立神拝小学校)
- 西条市立西条北中学校サッカー部
- 東福岡高校サッカー部
- 明治大学サッカー部
- FC東京
- ACチェゼーナ(イタリア)
- インテル・ミラノ(イタリア)
- ガラタサライ(トルコ)
- マルセイユ(フランス)
- FC東京
小学生時代
小学生時代は神拝サッカークラブでプレーしています。
小学1年生の時にサッカーを始め、愛媛県大会で上位に入ったことも。
当時はドリブルを得意とするFWで、個人技で打開する選手だったようです。
愛媛FCのセレクションに参加するも、落選しています。
中学校時代
中学校時代は、西条北中学校サッカー部でプレーしています。
不良が集まる環境で、長友選手も不良の仲間入りを果たします。
しかし、”熱い先生”が赴任したことがきっかけでサッカー部は生まれ変わり、県大会3位になる程の強豪に。(引用:東京都サッカー協会HPより)
中学3年生の頃は、サッカー部と駅伝部を掛け持ちしています。
高校時代
高校時代は、東福岡高校サッカー部でプレーしています。
全国大会の常連で、朝から晩までサッカー漬けの日々。
3年生の時にレギュラーに定着し、全国大会に出場しています。
スタミナに関しては入学時からトップクラスだったようです。
明治大学
大学時代は、明治大学サッカー部でプレーしています。
サッカー推薦での入学が叶わず、指定校推薦で入学。
しかし、大学1年時にヘルニアを発症し、サッカーの練習ができず・・・。
パチンコで憂さ晴らしをしながらも、体幹トレーニングは欠かさずに行っていたそうです。
それが功を奏し、2年時にはトップチームの試合に初出場。
そこからは、全日本大学選抜、FC東京の特別指定選手など、あれよあれよとステップアップ。
明治大学出身の選手
・小川佳純(2学年先輩)
・林陵平(同期)
・藤田優人(同期)
・山田大記(2学年後輩)
・森下龍矢
・佐藤ケイン
・中村草太 など
長友選手は太鼓が上手く、スタンドの応援時に太鼓を叩いていた際に”鹿島サポーターにスカウトされた過去”があります。
FC東京
Embed from Getty Images2008年にFC東京に入団します。
大学4年時にサッカー部を退部し、プロ入りを決断しています。(大学には通い続け、卒業しています。)
初年度の開幕戦からレギュラーに。
そして、”ある選手”を抑えたことで、一躍有名人に。
「フッキを完封」。
Jリーグが圧倒的な力を見せ、のちに”ブラジル代表”としてW杯にも出場した一流選手。
”超人ハルク(フッキのあだ名)”との対決をキッカケに、A代表初選出。
そして、2010年南アフリカW杯にも出場しています。
FC東京での成績
・2007年:0試合0ゴール(特別指定)
・2008年:29試合3ゴール
・2009年:31試合1ゴール(ナビスコ杯優勝)
・2010年:12試合1ゴール
ACチェゼーナ(イタリア)
Embed from Getty Images2010年夏にACチェゼーナに移籍します。
守備の国イタリアでも、長友佑都の実力が通用。
それどころか、リーグ内でもトップクラスのプレーを披露します。
半年間プレーした後、”超名門”からのオファーを受けることに。
チェゼーナでの成績
・2010-11年:11試合0ゴール(途中退団)
インテル・ミラノ(イタリア)
Embed from Getty Images2011年冬にインテル・ミラノに移籍します。
CL(チャンピオンズリーグ)で優勝した翌年に加入。
言い換えれば、”当時のヨーロッパNo.1クラブ”への加入です。
世界トップクラスのメンバーの中でも、レギュラーに定着。
長友選手自身も、間違いなく”サイドバックで世界トップ10”に入っていたでしょう。
インテルには7年半在籍。
持ち前のコミュニケーション能力で多くの一流プレーヤーに愛されました。
特に、問題児・カッサーノ(元イタリア代表)、やスナイデル(元オランダ代表)は「長友LOVE」。
いつも3人で行動する程の仲の良さでした。
Embed from Getty Imagesガラタサライ(トルコ)
Embed from Getty Images2017年夏、ガラタサライに移籍します。
トルコNo.1の優勝回数を誇る名門への加入。
2度のリーグ優勝に貢献し、チャンピオンズリーグでも活躍。
出番を失い、苦しんだ時期はあったものの、”世界一熱い”と言われるガラタサライサポーターからも愛された3年間です。
ガラタサライでの成績
・2017-18年:15試合0ゴール
・2018-19年:25試合0ゴール(CL:2試合0ゴール,EL:5試合0ゴール)
・2019-20年:25試合0ゴール(EL:6試合0ゴール)
マルセイユ(フランス)
Embed from Getty Images2020年夏にマルセイユに移籍します。
日本代表の酒井宏樹選手の同僚となり、”マルセイユの両SB=日本代表コンビ”に。
控え選手として補強された長友選手でしたが、結果的には25試合に出場。
良い意味で予想を裏切る活躍を見せました。
マルセイユでの成績
・2020-21年:25試合0ゴール(EL:2試合0ゴール)
FC東京
Embed from Getty Images2021年夏にFC東京に移籍します。
11年ぶりのJリーグ復帰。
チームの戦力としてはもちろんのこと、チームの雰囲気作りでも大きく貢献。
それはクラブだけではなく、日本代表でも同じ。
38歳になった今でも、日本代表に招集され続けています。
FC東京での成績
・2021年:10試合0ゴール
・2022年:30試合0ゴール
・2023年:29試合0ゴール
・2024年:29試合2ゴール
まとめ
話題に事欠かない男、”長友佑都”。
通常、女優と結婚した場合、世間では「○○の旦那さん」という認識になってしまうでしょう。
しかし、この男は違います。
サッカーに関心がない方からも、「長友佑都」と認識されています。
そして、そんな偉大なる男が見据えるのは、「5回目のW杯出場」です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

コメント